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名古屋地方裁判所 昭和51年(行ウ)48号 判決 1983年12月23日

名古屋市西区江川町一丁目一〇番地

平山隆夫こと

原告

申昌鎬

右訴訟代理人弁護士

岩崎光記

原山剛三

名古屋市西区北押切町二二番地

被告

名古屋西税務署長

竹市肇

右指定代理人

服部勝彦

木村三春

川村宣夫

小泉治

柴田良平

主文

一  原告の請求をすべて棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

一  被告が原告に対し、昭和四九年三月八日付でなした原告の昭和四五年分所得税についての更正処分および過少申告加算税賦課決定処分をいずれも取消す。

二  被告が原告に対し、昭和四九年三月九日付でなした原告の昭和四六年分所得税についての更正処分および過少申告加算税賦課決定処分(ただし、いずれも異議および裁決により取消された部分を除く。)をいずれも取消す。

三  被告が原告に対し、昭和四九年一一月六日付でなした昭和四七年分所得税についての再更正処分および過少申告加算税賦課決定処分(ただし、いずれも裁決により取消された部分を除く。)をいずれも取消す。

四  訴訟費用は、被告の負担とする。

(被告)

主文一、二項と同旨

第二当事者の主張

(原告の請求原因)

一  原告は、鉄骨建築業を営む者であるが、昭和四五年分から昭和四七年分までの所得税について、各法定期限内に次のとおり確定申告をした。

(一) 昭和四五年分

総所得金額 三〇〇万円

納付すべき税額 三〇万二、四〇〇円

(二) 昭和四六年分

総所得金額 四一八万四、九一四円

納付すべき税額 二四万九、二〇〇円

(三) 昭和四七年分

総所得金額 四九三万四、〇〇〇円

納付すべき税額 四一万三、〇〇〇円

そして、昭和四六年四月九日に昭和四五年分の所得税につき、総所得金額を三八三万五、四三〇円、納付すべき税額を五四万七、六〇〇円とする修正申告をしたところ、被告は、昭和四六年四月二七日、右昭和四五年分所得税修正申告に対し、過少申告加算税の額を一万二、二〇〇とする賦課決定処分をした。

二  さらに、被告は、昭和四九年三月八日に昭和四五年分の所得税について、同年三月九日に昭和四六年分および昭和四七年分の各所得税について、次のとおり更正および過少申告加算税賦課決定の各処分をした。

(一) 昭和四五年分

総所得金額 六三五万六、八五八円

納付すべき税額 一五二万四、一〇〇円

過少申告加算税の額 四万八、八〇〇円

(二) 昭和四六年分

総所得金額 一、六七三万七、〇八六円

納付すべき税額 六二三万六、一〇〇円

過少申告加算税の額 二九万九、三〇〇円

(三) 昭和四七年分

総所得金額 三、〇六五万八、六八七円

納付すべき税額 一、四二四万九、六〇〇円

過少申告加算税の額 六九万一、八〇〇円

三  原告は、昭和四九年五月四日、昭和四五年分から昭和四七年分までの各更正処分および各賦課決定処分に対し異議を申立てたところ、被告は、同年八月九日付で昭和四五年分および昭和四七年分については右異議申立を棄却する旨の決定を、昭和四六年分については総所得金額を一、〇九六万一、八六八円、納付すべき税額を三一二万三、九〇〇円、過少申告加算税の額を一四万三、七〇〇円とする異議決定をした。

四  原告は、右異議決定全部(ただし、取消された部分を除く。)が不服であったので、昭和四九年九月一二日、国税不服審判所長に対し審査請求をしたところ、被告は同年一一月六日付で原告の昭和四七年分所得税について、総所得金額を四、一二〇万六、八六一円、納付すべき税額を二、〇六〇万一、七〇〇円とする再更正処分および過少申告加算税の額を三一万七、六〇〇円とする賦課決定処分をした。

五  原告は、昭和四九年一二月二五日、右再更正処分および賦課決定処分に対し、異議の申立をしたところ、被告は国税通則法九〇条一項により、右異議申立を国税不服審判所長に送付したので、右異議申立は、原告がさきにした審査請求と併合審理された。

六  その結果、国税不服審判所長は、昭和五一年五月三一日、昭和四五年分については審査請求を棄却したが、昭和四六年分については総所得金額を七六〇万三、六八五円、納付すべき税額を一九二万五、一〇〇円、過少申告加算税の額を六万三、三〇〇円と、昭和四七年分については総所得金額を三、八五〇万六、九八〇円、納付すべき税額を一、九三七万五、六〇〇円、過少申告加算税の額を九二万七、二〇〇円とそれぞれ認定し、昭和四六年分の更正処分および昭和四七年分の再更正処分ならびに各賦課決定処分中、右認定額を超える部分を取消し、その余を棄却する旨の裁決をした。

右裁決書謄本は昭和五一年八月二六日原告に送達された。

七  しかし、昭和四五年分および昭和四六年分の各更正処分、昭和四七年分の再更正処分ならびに各賦課決定処分は、いずれも次の理由により違法である。

1 原告は昭和四四年中にミリオン開発株式会社(以下、「ミリオン開発」という。)から一、四九二万円の収入をえたのに、被告はそれを昭和四五年分の所得と認定したこと

2 原告の昭和四五年分ないし昭和四七年分の各不動産所得はいずれも四八万円であったにもかかわらず、被告が昭和四五年分のそれを一一三万四、〇〇〇円と、昭和四六年分および昭和四七年分のそれを各一四四万円と認定したこと

3 被告が昭和四六年分および昭和四七年分の雑所得の金額を過剰に認定したこと

4 原告には昭和四五年から昭和四七年までの間に次のとおり多数の貸倒が存在するので、本件各係争年分の事業所得の計算上それらを必要経費と認めるべきところ、被告がこれを認めなかったこと

(昭和四五年分)

(一)  原告は、昭和四五年五月ごろ、合資会社岩塚工務店(以下、「岩塚工務店」という。)から鉄骨工事を二〇九万三、〇〇〇円で請負い、これを完成し、同店より右同額の約束手形および小切手を受取ったが、これらはいずれも同年六月一日不渡となった。その後岩塚工務店の代表者岩塚保治は二〇万円を支払ったのみで行方不明となった。

してみると、残債権一八九万三、〇〇〇円は貸倒になるというべきである。

(二)  原告は、昭和四五年一月中ごろ、金岡敏治に二二五万円を貸付けたが、金岡には資力が全くない。

してみると、右債権は貸倒になるというべきである。

(三)  原告は、昭和四五年八月ごろ、伊藤宣明から鉄骨工事を一〇六万八、五〇〇円で請負い、これを完成させ、右同額の約束手形(三通)を受取ったが、右各手形はいずれも不渡となり、右伊藤も同年一〇月ころ行方不明となった。

してみると、右請負代金債権は貸倒になるというべきである。

(昭和四六年分)

原告は、昭和四五年一一月から昭和四六年二月にかけて、有限会社協和工務店(以下、「協和工務店」という。)から丸西家具屋、三信ハウス建材、井戸栄さん泉工業の鉄骨工事を請負い、仕事を完成し、支払期日・昭和四六年二月二八日、同年三月五日、同年四月二八日、同年五月二八日の約束手形合計四通(金額合計五一八万八、〇〇〇円)を受取ったが、同手形はすべて不渡となり、協和工務店の代表者古田恒も行方不明となったため、取立が不能となった。

してみると、右工事代金合計五一八万八、〇〇〇円は全額貸倒になるというべきである。

(昭和四七年分)

(一)  原告は、昭和四七年三月二九日、同月三〇日、岡田勉にそれぞれ五〇万円貸付け、同年一二月六日、同人に二〇〇万円貸付けた。

さらに原告は、同年一二月一八日ごろ、同人に対し、九五〇万円貸付け、担保として一二〇Sブルドーザ小松一台、味付のり三、〇〇〇個、女性用カツラ八〇〇個を受取ったが、その後岡田は行方不明となり、取立は不能となった。そこで、原告は、岡田から担保として受取った右ブルドーザ一台を五〇万円で、右味付のり三、〇〇〇個を一五〇万円で換価したが、右女性用カツラは換価できず廃棄した。

してみると、右貸付残金一、〇五〇万円は貸倒になるというべきである。

(二)  原告は、昭和四七年一月上旬ごろ、小嶋富士郎から鉄骨工事を請負い、仕事を完成し、二八万円の約束手形を受取ったが、不渡となり、その後も取立が不能となった。

してみると、右請負代金は貸倒になるというべきである。

(三)  原告は、昭和四七年一月上旬ごろ、斉藤昭二から鉄骨工事を七〇万円で請負い、材料費五九万円を原告において立て替えて工事を完成したが、斉藤は右金員を支払わず、その後行方不明となったため、取立が不能となった。

してみると、右請負代金および立替金合計一二九万円は貸倒になるというべきである。

八 よって、被告に対し、昭和四五年分の更正および過少申告加算税賦課決定の各処分、昭和四六年分の更正および過少申告加算税賦課決定の各処分(ただし、異議および裁決により取消された部分を除く。)、昭和四七年分の再更正および過少申告加算税賦課決定の各処分(ただし、裁決により取消された部分を除く。)の各取消を求める。

(請求原因に対する被告の認否)

一  請求原因一ないし六の事実はすべて認める。

二  同七中、被告が原告に昭和四五年中にミリオン開発から一、四九二万円の収入があったと認定したこと、被告が原告の昭和四四五年分の不動産所得を一一三万四、〇〇〇円と、昭和四六年分および昭和四七年分のそれを一四四万円と認めたこと、被告が原告主張の貸倒をいずれも認めなかったことは認めるが、その余はすべて争う。

原告には原告主張のような貸倒は存在しない。その詳細は後記被告の主張「三貸倒の主張に対する認否反論」のとおりである。

(被告の主張)

一  本件課税処分の経緯

1 原告の事業内容

原告は、「東栄工業」の名称のもとに、主たる事務所を名古屋市西区江川町一丁目一〇番地に置き、作業場を愛知県西春日井郡師勝町大字能田地内に設けて鉄骨建築工事業を営むほか、東栄機工株式会社(本店所在地、名古屋市西区江川町一丁目一〇番地)の代表取締役をしている者である。

2 確定申告および修正申告

原告は、本件係争各年分の所得税について昭和四五年分は昭和四六年二月二六日に、昭和四六年分は昭和四七年三月一五日にそれぞれ別紙一ないし三「課税処分表」の「確定申告額」欄記載のとおりの確定申告書を、また、昭和四五年分所得税について昭和四六年四月九日に別紙一「課税処分表」の「修正申告額」欄記載のとおりの修正申告書をいずれもいわゆる白色申告書(所得税法一四三条の青色申告でない申告書)により、それぞれ被告に提出した。

3 更正および加算税の賦課決定

(一) 被告は、原告から提出された昭和四五年分修正申告書に基づき別紙一「課税処分表」の「修正申告額」欄記載のとおり、国税通則法六五条に規定する過少申告加算税を同法三二条の規定により賦課決定し、昭和四六年四月二七日付でその旨を原告に通知した。

(二) 被告が、原告から提出された本件係争各年分の所得税の確定申告書および修正申告書を調査したところ、原告の各年分の事業所得の金額が原告の事業規模および取引状況等からみていずれも過少であり、さらに、昭和四六年分および昭和四七年分について、原告が他に貸付けた貸付金に対する利息等収入による雑所得の金額の申告がなされていないことが推認された。

そこで、被告は、原告の右各所得金額が果して正当に算出されているか否かを確認する必要があったので、被告の所属係官(以下単に「係官」という。)を原告方に赴かせ実地に調査を行わせた。

ところが、右係官が再三再四にわたり原告の事業および貸付金等に関する帳簿書類の提示を求めたのに対して、原告は帳簿書類の記録、備付および保存のないことを理由にこれに応じなかった。また、右係官が原告の申告にかかる各所得金額の計算根拠等についての説明を求めたのに対しても、原告は原告の取引先および取引銀行等(以下単に「取引先等」という。)の名称を一部申立てるのみであった。そのため、被告は、原告の事業所得の金額および雑所得の金額を実額で算出することができなかった。

そこで被告は、やむをえず係官をして原告の取引先等について原告の取引の状況等を調査し、その調査結果に基づき、原告の本件係争各年分の事業所得の金額、昭和四六年分および昭和四七年分の雑所得の金額を推計により算定し、また昭和四六年分および昭和四七年分の利子所得の金額を実額により算出し、国税通則法二四条の規定により別紙一ないし三「課税処分表」の「更正および賦課決定額」欄記載のとおり本件係争各年分の総所得金額および所得税額を更正するとともに同法六五条に規定する過少申告加算税を同法三二条の規定により賦課決定し、昭和四五年分については昭和四九年三月八日付で、昭和四六年分および昭和四七年分については昭和四九年三月九日付でそれぞれその旨を原告に通知した。

(三) 被告は、右被告のなした原告の昭和四七年分の所得税にかかる更正および加算税の賦課決定について再調査したところ、事業所得の金額および雑所得の金額の算定に誤りのあることが明らかとなったので、国税通則法二六条の規定により別紙三「課税処分表」の「再更正および賦課決定額」欄記載のとおり、昭和四七年分の総所得金額および所得税額を更正するとともに同法六五条に規定する過少申告加算税を同法三二条により賦課決定し、昭和四九年一一月六日付でその旨を原告に通知した。

4 異議申立および決定

原告は、右3の(二)の本件係争各年分の所得税に係る更正および加算税の賦課決定を不服として、昭和四九年五月四日、被告に対し異議申立をした。

そこで被告は、右異議申立について調査したところ、昭和四六年分については別紙二「課税処分表」中「異議決定額」欄記載のとおり当該更正および賦課決定額の一部を取消すことを相当と認め、その一部を取消したが、昭和四五年分および昭和四七年分についてはいずれも誤りはなく原告の申立には理由がないと認められたのでこれを棄却する決定をなし、昭和四九年八月九日付でそれぞれその旨を原告に通知した。

5 審査請求および裁決

原告は、右4の異議決定を不服として、昭和四九年九月一二日、国税不服審判所長に対し審査請求をした。

さらに原告は、右3の(三)の昭和四七年分の所得税にかかる更正および加算税の賦課決定を不服として、昭和四九年一二月二五日、被告に対し異議申立をしたが、被告は右異議申立は国税通則法九〇条の規定に該当するものとしてその異議申立書等を昭和五〇年一月二二日付で国税不服審判所長に送付し、かつ、その旨を原告に通知した。そこで右異議申立は同法条の規定により昭和五〇年一月二二日国税不服審判所長に対し、審査請求がなされたものとみなされた。

国税不服審判所長は、右各審査請求についてあわせて審理し昭和四六年分および昭和四七年分については別紙二および三「課税処分表」中「裁決額」欄記載のとおり被告のなした本件課税処分の一部を取消し、昭和四五年分については被告のなした本本件課税処分に誤りはなく原告の請求には理由がないと認め棄却の裁決をなし、昭和五一年八月二五日付でそれぞれその旨を原告に通知した。

二  本件課税処分の適法性

1 前記事情により原告の所得金額を実額により計算することができなかったので、被告はやむをえず原告の取引先等について可能な限り調査して原告の収入金額を把握し、それに青色申告者である類似同業者の平均算出所得率を乗じて算出所得金額を算定し、それから特別経費を控除する方法で事業所得金額を、次に利子所得金額、給与所得金額、不動産所得金額および雑所得金額を算定して、原告の総所得金額を推計したものである。

2 原告の昭和四五年分ないし昭和四七年分所得税の総所得金額およびその計算根拠は、別紙四「総所得金額計算表」のとおりである。

(一) 事業所得金額

(1) 収入金額

被告は、原告の収入金額を実額により把握することができなかったので、原告の取引先および銀行等を調査した結果、原告の鉄骨建築工事業に係る係争各年分の収入金額を次のとおり算定した(なお、その明細は別紙五ないし七「収入金額明細表」のとおりである。)。

昭和四五年分 一億四、四一四万 七二四円

昭和四六年分 六、七四三万六、七〇〇円

昭和四七年分 九、九二五万 九九七円

なお、原告はミリオン開発からの収入一、四九二万円は昭和四四年分の事業所得に算入されるべきである旨主張するが、請負による収入金額の収入計上時期は物の引渡を要する請負契約にあってはその目的物の全部を完成して相手方に引渡した日と解すべきところ(所得税基本通達三六-八(4))、ミリオン開発の会計帳簿である総勘定元帳によると、原告の請負った倉庫の新築工事代金について、昭和四四年一二月二九日に支払った工事代金八五〇万円および昭和四五年三月五日に支払った五〇〇万円をいずれも建設仮勘定に計上し、同年一二月三一日の決算期にこれらを同年中に支払った残代金とともに建物勘定に振替処理していることおよび右倉庫についてミリオン開発が昭和四五年二月一〇日付で所有権保存登記(なお右倉庫の表示登記の原因日付欄には「昭和四四年一二月二五日新築」と記載されている。)をしていることからすると、ミリオン開発は昭和四五年中に右倉庫の引渡を受けたというべきであるから、前記請負代金一、四九二万円は昭和四五年分の事業所得に算入されるべきである。

(2) 算出所得率

イ 被告は、原告の事業所を管轄する名古屋西税務署をはじめその他の名古屋市内各税務署、原告の事業所(名古屋市西区および愛知県西春日井郡)に隣接する小牧税務署、一宮税務署および津島税務署の合計一二税務署管内において原告と同種の事業を営む個人事業者で次のロに掲げる選定基準に該当する者(昭和四五年分五名、昭和四六年分六名、昭和四七年分六名)を抽出し、その選定に係る者の課税実績を基に平均算出所得率を算定したところ、別紙八「鉄骨工事業者の平均算出所得率計算表」に記載のとおり係争各年分ごとの算出所得率が求められた(昭和四五年分九・九一パーセント、昭和四六年分一一・四八パーセント、昭和四七年分九・六九パーセント)ので、これを原告の係争各年分の算出所得率と推計したものである。

(注)<1> 右平均算出所得率とは、右同業者の算出所得金額を収入金額で除した割合の平均値をいう。

<2> 右算出所得金額とは、収入金額から工事原価および一般経費を控除した金額をいう。

<3> 右<2>の工事原価とは、原材料費(期首原材料費たな卸高+当期原材料仕入高-期末原材料たな卸高)、労務費(青色事業専従者給与中男子分を含む。)、外注工費、電力費、水道光熱費、修繕費、建物以外の減価償却費およびその他の工事経費の合計額をいう。

<4> 右<2>の一般経費は、必要経費(青色申告書を提出する者について特に認められている各種引当金、準備金および専従者給与の額を除く。)から工事原価、建物の減価償却費、利子割引料、地代家賃、税理士等の報酬およびその他収入金額に対応しない特別な経費を控除した金額をいう。

ロ 選定基準

鉄骨工事業を営む個人事業者で昭和四五年分ないし昭和四七年分の所得税を、各年分とも所得税法一四三条(青色申告)の規定による青色申告書により提出している者で、次の各号に該当しない者

<1> 当該各年分の中途において、開廃業、転業または業態を変更した者

<2> 鉄骨工事業以外の業種目を兼業している者

<3> 小規模事業者で、帳簿組織が簡易な記帳方法(現金主義)によっている者(所得税法六七条の二該当者)

<4> 更正または決定処分が行われた者のうち、国税通則法の規定に基づく不服申立期間または出訴期間を経過していない者および不服申立または訴訟中のもの

<5> 各課税年分ごとに売上金額が三、四〇〇万円未満または二億二、五〇〇万円を超えている者

<6> 工事進行基準(所得税法六七条)の方法により経理している者

(3) 算出所得金額

原告の右(1)の各年分の収入金額に右(2)の各年分の算出所得率を乗じて、原告の係争各年分の算出所得金額を求めると

昭和四五年分は 一、四二八万四、三四五円

昭和四六年分は 七七四万一、七三三円

昭和四七年分は 九六一万七、四二一円

となる。

(4) 特別経費

被告は、原告の事業所得に係る係争各年分の特別経費について調査したところ、係争各年分とも貸倒と認められる特別経費はなく(原告の主張に対する認否反論は後記のとおりである。)、その他の特別経費は別紙四に記載のとおり

昭和四五年分は 二三九万八、二五六円

昭和四六年分は 二五四万四、〇七六円

昭和四七年分は 二七五万二、六九二円

となる。

(5) 右(3)の係争各年分の算出所得金額から右(4)の係争各年分の特別経費を控除すると、原告の係争各年分の事業所得金額は別紙四に記載のとおり

昭和四五年分は 一、一八八万六、〇八九円

昭和四六年分は 五一九万七、六五七円

昭和四七年分は 六八六万四、七二九円

となる。

(二) 利子所得金額

被告が、原告の取引銀行を調査したところ瀬戸信用金庫押切支店に租税特別措置法三条(利子所得の源泉分離課税)の規定の適用を受けていない原告名義の定期預金が存することが判明した。

右調査によれば、原告は当該預金の利息を昭和四六年六月九日に一万八、八三二円(内源泉徴収税額二、八二四円)、同年九月一〇日に四万三九〇円(内源泉徴収税額六、〇五八円)合計五万九、二二二円を収受している。

右利息収入は所得税法二三条の利子所得に該当するので、原告の昭和四六年分の利子所得金額は五万九、二二二円となる。

(三) 給与所得金額

原告は、昭和四七年中に東栄機工株式会社から役員報酬三六万円を得ているが、右役員報酬は所得税法二八条の給与等の収入金額となる。

したがって、原告の昭和四七年分の給与所得金額は、右法条の規定により給与所得控除額一七万六、〇〇〇円を控除した残額一八万四、〇〇〇円となる。

(四) 不動産所得金額

原告は、株式会社仲田ビル(以下、「仲田ビル」という。)から名古屋市千種区大久手町四丁目九番地「大久手マンション」一階D室(一三・三五坪)(以下、「本件店舗」という。)を月額四万四、〇〇〇円で賃借していた。

原告は、右店舗を山崎秋雄(通称名山崎之裕)に転貸し、昭和四五年一月から同年九月までは月額一三万円、同年一〇月から昭和四七年一二月までは月額一六万四、〇〇〇円をその対価として収受していた。

したがって、原告は山崎秋雄から昭和四五年中に合計一六六万二、〇〇〇円(昭和四五年一月から同年九月まで13万円×9か月、同年一〇月から同年一二月まで16万4,000円×3か月)、昭和四六年中に合計一九六万八、〇〇〇円(16万4,000円×12か月)、昭和四七年中に合計一九六万八、〇〇〇円(16万4,000円×12か月)を収受したことになり、右金額が所得税法二六条の不動産所得の収入金額となる。

また、原告は株式会社仲田ビルに右各年それぞれ五二万八、〇〇〇円(4万4,000円×12か月)を支払ったことになるので、右不動産所得の収入金額に対応する必要経費は右各年五二万八、〇〇〇円となる。

したがって、原告の各年度の不動産所得金額は、

昭和四五年分が 一一三万四、〇〇〇円

昭和四六年分が 一四四万円

昭和四七年分が 一四四万円

となる。

(五) 雑所得

(1) 昭和四六年分

原告は、事業の取引先である竹中秀雄(以下、「竹中」という。)に対し昭和四六年二月一六日現在二、四二六万七、一〇五円の工事未収金を有していた。

そこで原告は、右工事未収金を竹中の同意のもとに同日付で、利率を日歩一五銭(年五割四分七厘五毛)、利息の支払日を毎月末とする貸付金に振替えた。

しかし原告は、昭和四六年中に右貸付金に対する利息を収受していない。また、右利率は利息制限法(昭和二九年五月一五日法律第一〇〇号)による利息の最高限(元本が一〇〇万円以上の場合は年一割五分、同法一条一項)を超過している。

したがって、原告が竹中に対し請求しうる昭和四六年分の貸付金利息は利息制限法所定の右制限利率年一割五分を適用して算定される金額三一七万一、三四四円である。

<省略>

右利息収入金額は、所得税法三五条の雑所得の収入金額となる。

また、右雑所得に係る必要経費はないので原告の昭和四六年分の右竹中に係る雑所得金額は三一七万一、三四四円となる。

(2) 昭和四七年分

原告は、右(1)のとおり竹中に対し二、四二六万七、一〇五円の貸付をなしているが、昭和四七年中に右竹中から次表(元本及び利息の収受状況)に記載のとおり五、九四〇万円を収受している。

順号 収受年月日 金額(円) 備考

1 四七、一、一一 一、一〇〇、〇〇〇 現金(竹中以外の振出しに係る小切手を含む)

2 〃 一、三一 一、一〇〇、〇〇〇 〃( 〃 )

3 〃 二、二九 一、〇〇〇、〇〇〇 〃( 〃 )

4 〃 三、三一 一、〇五〇、〇〇〇 〃( 〃 )

5 〃 四、二二 一、〇五〇、〇〇〇 〃( 〃 )

順号 収受年月日 金額(円) 備考

6 四七、五、三一 一、〇〇〇、〇〇〇 現金(竹中以外の振出しに係る小切手を含む)

7 〃 六、三〇 一、〇〇〇、〇〇〇 〃( 〃 )

8 〃 七、三一 一、一〇〇、〇〇〇 〃( 〃 )

9 八、三一 一、〇〇〇、〇〇〇 〃( 〃 )

10 一一、二 四三、〇〇〇、〇〇〇 〃( 〃 )

11 一一、二 七、〇〇〇、〇〇〇 仮処分保証金から充当

合計 五九、四〇〇、〇〇〇

右収受した五、九四〇万円は、右貸付金の元本の返済および利息もしくは延滞利息として支払われたものと認められ、貸付元本二、四二六万七、一〇五円を差し引いた三、五一三万二、八九五円が右貸付金に対する利息収入であると考えられる。したがって、その利息収入から右(1)の昭和四六年分に対応する利息収入三一七万一、三四四円を差し引いた残額三、一九六万一、五五一円が昭和四七年分の利息収入となる。

右昭和四七年分の利息収入三、一九六万一、五五一円は、所得税法三五条の雑所得の収入金額となる。

また、右雑所得に係る必要経費はないので、原告の昭和四七年分の竹中に係る雑所得金額は三、一九六万一、五五一円となる。

3 以上のとおり原告の本件係争各年分の総所得金額は別紙四「総所得金額計算表」記載のとおり

昭和四五年分は 一、三〇二万 八九円

昭和四六年分は 九八六万八、二二三円

昭和四七年分は 四、〇四五万 二八〇円

となるので、右各総所得金額の範囲内でなされた本件各課税処分(異議決定および裁決による一部取消後)は適法である。

三  貸倒の主張に対する認否反論

1 貸倒損失について

貸倒損失については、所得税法五一条二項(貸倒損失の必要経費算入)に定めのあるほか、所得税基本通達五一-一一ないし五一-一三に貸倒として必要経費に算入される場合を具体的に示している。

これによれば、(一)債権が法律上消減した場合として、更生計画の認可、和議の決定、債権者集会等の協議決定等により切捨てられた場合または、債務者の債務超過の状態が相当期間継続し、その貸金等の弁済を受けることができないと認められる場合において、その債務者に対し債務免除額を書面により通知した場合(同通達五一-一一)、(二)法律上債権は存在するが、その回収が事実上不可能である場合として、貸金等につき、その債務者の資産状況・支払能力からみて、その全額が回収できないことが明らかになった場合と定め、さらに貸金等について担保物がある場合には原則として担保物を処分するまでは適用されないとしている(同通達五一-一二)。

以上のことから、和議の決定等により債権が法律上消滅した場合は別として、債務者の債務超過の状態が相当期間継続し、その貸金等の弁済を受けることができないと認められる場合であっても、その年中に貸金等の全額が回収できないことが明らかになった場合のほかは、更にその債権について放棄の措置をしていることが必要である。

2 以下右の見解に従って本件につき検討する。

(昭和四五年分)

(一)  岩塚工務店に対する貸倒損失について

原告は、岩塚工務店の代表者岩塚保治が二〇万円を支払ったのみで行方不明になったので貸倒となる旨主張する。

しかしながら岩塚保治は、岩塚工務店の無限責任社員であって、同社の所在地である名古屋市中村区椿町四丁目二〇番地の居宅に引続き居住し、昭和四五年一〇月二二日原告に対し右居宅に抵当権を付しているのであって、同人が行方不明になったとか貸倒になったという事実はない。

また、岩塚保治は、岩塚工務店の無限責任社員として会社債務支払の法的責任があるから、原告主張の債権が存在していたとしても、右事情のもとでは、その債権の全額が回収できないことが明らかになったとは言えない。

さらに、原告は、現在に至るまで岩塚保治に対し残代金の請求を続けている事実に照らすと、本件係争年度の事業所得金額の計算上岩塚工務店にかかる貸倒処理が認められないことは明らかである。

(二)  金岡敏治に対する貸倒損失について

原告は、金岡敏治に二二五万円を貸渡したと主張するが、その事実は不知。

仮に、原告が金岡敏治(本名金正河、昭和五一年一二月二一日死亡)に対する事業上の債権を有していたとしても、同人は昭和四五年から昭和四八年の間は東宝コーキの屋号で中古遊技機(パチンコ機械等)の販売業を営んでおり、倒産等の事実もなく、原告主張のごとく、単に、資力がないというだけでは貸倒を認めることのできないことはいうまでもない。

(三)  伊藤宣明に対する貸倒損失について

原告は、伊藤宣明に対する鉄骨工事を請負い、その工事代金として受取った約束手形が不渡となり、その後、伊藤が行方不明になった旨主張する。

しかしながら、右約束手形金については、昭和四五年一一月一七日ころ名古屋市西区南鷹匠町一丁目七番地所在の同人所有の建物とその付随する権利等を代物弁済として原告に譲渡するとともに、文明堂の小切手と安藤電気の約束手形二通をその支払として交付し、全部支払が済んでいるのであるから、原告と右伊藤との間には何ら債権債務関係は存在せず、したがって貸倒損失の発生する余地はない。

(昭和四六年分)

協和工務店に対する貸倒損失について

原告は、協和工務店から受取った手形が不渡となり、同社の代表取締役古田恒が行方不明で取立不能となったので、右手形金が貸倒になった旨主張する。

しかしながら、古田恒は、手形が不渡となった昭和四六年三月初めから約一ケ月後の同年四月ごろから昭和五五年ごろまでの間、名古屋市守山区大字吉根字松洞三三一〇-一に居住していた。

また債務者は、協和工務店であって、古田恒個人ではないから、仮に古田恒が一時期行方不明になったとしても、そのことを理由に原告の債権が直ちに貸倒と認め得るものではない。

(昭和四七年分)

(一)  岡田勉に対する貸倒損失について

原告は、岡田勉に対し昭和四七年中に合計一、二五〇万円貸渡したが、その後同人が行方不明となり、貸付金九五〇万円に対する担保物件を二〇〇万円で換価したため、差引一、〇五〇万円が貸倒となった旨主張する。

しかしながら、岡田勉に対する債権については、昭和四七年三月二九日、同三〇日の各五〇万円の公正証書による貸付を除いては、内容がいずれも曖昧で税務対策上作成されたものと推認せざるをえない。

また、仮に存していたとしても次のような矛盾がある。

(1) 岡田勉自身が原告に対し昭和四七年一二月二八日付預証に連帯保証人として署名していることおよび原告自身も本訴において「行方不明じゃないですね。」と供述していることから、岡田勉はこの時点では行方不明でないことは勿論のこと、連帯保証人としての資力を有することも認めており、当然に債権放棄の事実もないことから係争年度において貸倒処理を認められないことは明らかである。

(2) 昭和四七年三月二九日、同三〇日の各五〇万円の貸付については、公正証書を作成し、保証金返還請求権等の担保を取っているほか、他の九五〇万円についての担保物である女性用カツラ八〇〇個等も残存しているから、このように貸金等について担保物がある場合には貸倒として処理することができないことは前述のとおりである。

(二)  小嶋富士郎に対する貸倒損失について

原告は、小嶋富士郎に対する工事代金のうち約束手形二八万円が不渡となり、その後も取立不能のため貸倒金と認めるべき旨主張する。

しかしながら、単に約束手形が不渡であるという事実のみで、貸倒と認められないことは判例・通達の示すところであって、少なくともかかる場合に貸倒と認められるためには、債務者に対し債務免除の旨を書面により通知することが必要である。

本件において、原告は右手続を了していないのであるから、右債権が貸倒損失と認められないのは明らかなところである。

(三)  斉藤昭二に対する貸倒損失について

原告は、斉藤昭二が行方不明につき貸倒と認めるべき主張する。

しかしながら、斉藤昭二は、名古屋市守山区大字大森字八龍二三六七番地の七二にて、少なくとも昭和四八年三月一日の銀行取引停止処分による名古屋相互銀行今池支店の当座取引が解約されるまでは共立工業の屋号でもって鉄工業を営んでおり、本件係争年中に斉藤昭二が行方不明となり貸倒が生じたとの原告主張は到底認められない。

(被告の主張に対する原告の認否反論)

一  本件課税処分の経緯はすべて認める。

二  本件課税処分の適法性中

11項は認める。

2項(一)(1)(収入金額)中、昭和四五年分の収入金額にミリオン開発からえた一、四九二万円を加えることは否認するが、その余はすべて認める。

原告がミリオン開発から請負った十四山倉庫を昭和四四年中に完成しこれを同社に引渡したことは、原告が同社に対し右請負残代金一三二万一、八三七円等を求めて訴訟を提起し、昭和四四年一二月二五日までに右倉庫を引渡した旨主張したのに対し、ミリオン開発は右引渡の時期について一切争っていないことから明らかである。

被告はミリオン開発が昭和四五年中に右倉庫の引渡を受けたと主張し、それを裏付ける事実として二つの事実を述べる(これらの事実自体は原告も認めるところである。)が、右間接事実をもって昭和四五年中に右倉庫の引渡を受けたと推認することはできない。

2項(一)(2)(算出所得率)は認める。

2項(一)(3)(算出所得金額)中、昭和四五年分の算出所得金額は争うがその余はすべて認める。

昭和四五年分の算出所得金額を争う理由は、右金額がミリオン開発からの収入一、四九二万円を同年分の事業所得金額に含めたうえで算出されているからである。

2項(一)(4)(特別経費)中、係争各年分に貸倒と認められる特別経費が存在しないことは否認するが、その余はすべて認める。

2項(一)(5)は争う。

2項(二)(利子所得金額)、(三)(給与所得金額)はすべて認める。

2項(四)(不動産所得金額)中、原告が仲田ビルから本件店舗を月額四万四、〇〇〇円で賃借していたことは認めるが、その余はすべて否認する。

原告は昭和四五年から昭和四七年まで本件店舗を千口友吉に月額八万四、〇〇〇円(ただし電気代等右店舗の諸経費は別)で転貸していたものである。したがって、原告の昭和四五年分ないし昭和四七年分の不動産所得はいずれも四八万円である。

算式(8万4,000円-4万円)×12=48万円

なお千口友吉はさらに山崎秋雄に本件店舗を転貸し、被告主張のとおりの賃料を同人から受け取っていたが、右賃料と前記八万四、〇〇〇円の差額は千口の収入であって原告の収入ではない。したがって右差額をも原告の所得とする被告の主張は失当である。

2項(五)(雑所得)中、原告が竹中秀雄に対し昭和四六年二月一六日現在二、四二六万七、一〇五円の工事未収金を有しており、右同日原告と右竹中が右工事未収金を利息の支払を毎月末とする貸付金に振替えたこと、竹中が昭和四六年中に利息を全く支払っていないことは認めるが、その余は争う。

原告は、右竹中に対し、別紙九「貸付金等の明細表」中「一貸付金」欄記載のとおり、右工事未収金のみならず、さらに一、七五〇万円貸付けており、昭和四六年分の利息収入は合計四六三万五、二八六円となる。

ところで、原告が竹中に貸付けた金員のうち、昭和四六年五月一日の五〇〇万円、同年六月一日の五〇〇万円、同年六月二五日の四〇〇万円、同年八月一日の三五〇万円中の一〇〇万円はいずれも原告が矢内キンから月二分の約定で借り受けたものであり、同年八月一六日の三五〇万円中二〇〇万円は原告が川野周道から借受けたものであり、原告は右両名に対し昭和四六年中、月二分の割合による利息を支払ったから、これは利息収入の経費にあたるが、その合計額は別紙九「貸付金等の明細表」中「二経費」欄記載のとおり二〇一万三、三三二円となる。

してみると、昭和四六年分の雑所得は、前記利息収入から経費を差し引いた二六二万一、九五四円になるというべきである。次に昭和四七年分の雑所得の金額についてであるが、原告は前記貸付金に対し、次のとおり返済を受けた。

昭和四七年 一月一〇日ごろ 一〇〇万円

同年 二月一〇日ごろ 一〇〇万円

同年 三月一〇日ごろ 一〇〇万円

同年 四月一〇日ごろ 一〇〇万円

同年 五月一〇日ごろ 一〇〇万円

同年一一月ごろ 五、〇〇〇万円

合計 五、五〇〇万円

してみると、原告の昭和四七年分の雑所得は、次のとおり七三六万九四一円となる。

雑所得=利息収入(収入額-貸付元金)-昭和46年分の雑所得-昭和47年分の経費+昭和47年分の未収入利息

=(5,500万円-4,176万7,105円)-262万1,954円-340万円+15万円

=736万941円

なお、右昭和四七年分の経費とは矢内キンに対する三〇〇万円(<省略>)と川原周道に対する四〇万円(<省略>)の合算額であり、昭和四七年分の未収入利息一五万円とは原告と竹中秀雄との間に昭和四七年一一月二日成立した後記三、記載の和解契約表示の六〇〇万円に対する昭和四七年一一月二日から同年一二月三一日までの利息制限法所定の年一割五分の割合による利息である。

三  原告の竹中秀雄に対する前記貸付およびその後の事情は次のとおりである。

原告は、竹中秀雄から名古屋市中区栄四丁目四〇八番地、四〇九番地、家屋番号第四〇九番、鉄骨コンクリートブロック造陸屋根六階建店舗兼事務所(以下、「竹中ビル」という。)の鉄骨工事を請負い、昭和四五年末ごろこれを完成させた。当時原告は竹中に対し、二、四二六万七、一〇五円の工事残代金債権を有しており、右同額の約束手形を竹中から振出交付を受けていた。しかし、竹中は、右手形の決済資金の手当ができなかったうえ、原告以外の業者に対する支払もできなかったので、昭和四六年二月初ごろ、原告に対し、「手形が落せそうにない。建物が完成したら店舗貸する予定であるが、その権利金として一軒あたり三〇〇万円、全部で三〇軒入れば九、〇〇〇万円ほど入手できるので、何とかそれまで不渡を出すことなく乗り切りたいから、手形の決済資金を融通して欲しい。」と申出た。そこで、原告は、竹中ビルが完成したら自分に第一順位の抵当権を設定することを条件に五、〇〇〇万円(ただし前記請負残代金二、四二六万七、一〇五円を含む。)まで月三分の利息で融資することを約束し、その旨の公正証書(甲一号証)を作成のうえ、前記のとおり同年六月二五日ごろまでに合計一、四〇〇万円を新たに貸付けた。

ところが、その後原告は、竹中ビルが竹中株式会社の名義で保存登記されていることを発見し、即座に竹中に抗議を申込んだところ、竹中は「名義は竹中株式会社でもあなたに担保をつければいいでしょう。」といい、結局同年六月三〇日所有権移転請求権仮登記を設定したものである(甲二三号証)。なお、その際、右同日以降の利息を月二分に減額することで原告と竹中は同意した。

同年八月に入り、原告は竹中が資金繰に困窮し、竹中ビルを第三者に売却しようとしている旨の噂を聞き、同年八月一六日、竹中にさらに三五〇万円貸付けたうえ、竹中株式会社との間で買戻期限を同年一一月三〇日とする代金五、〇〇〇万円の買戻特約付売買契約を結んだ(甲四号証)。ただし前記八月一六日現在、原告は竹中に対し元利合計四、七〇〇万円近くの貸金債権があり、同年一一月三〇日にはこれが約五、〇〇〇万円になる予定であったからである。

ところが、買戻期限である昭和四六年一一月三〇日、竹中は原告方を訪れ、「五、〇〇〇万円の金員の工面ができなかった。契約に従えば、建物はあなたのものだ。所有権移転登記をされても文句は言えない。実印と印鑑証明を持っていく。しかし、あなたに情があるならばその実行は待ってもらいたい。あなたがどうしても実行するというなら、私はここ(原告宅前)で首をつるしかない。」というので、原告は実印と印鑑証明を預ったうえ「竹中ビルは私のものになったが、あなたが金を返してくれたら竹中ビルを返してあげましょう。」と答えた。竹中は非常に喜び「すでに貸してある店舗からはいる賃料が月々一四〇万円位あるから、月あたり一〇〇万円をあなたに賃料として支払います。」といったので、原告はこれを了承した。

竹中は昭和四六年一二月分から昭和四七年四月分までの賃料として各一〇〇万円を昭和四七年一月から毎月持参したが、五月分からの賃料を支払わなくなったので、原告は竹中に対し、「賃料を払わなければ移転登記をするよ。」と警告したが、竹中は「待ってくれ。」の一点張であった。そのうち竹中は、「光工業株式会社が借金の肩代をしてくれることになった。所有権は光工業に移したいから、仮登記を抹消してくれ。」と原告にいってきたので、原告は「他人に渡すなら私に竹中ビルを譲ってくれ。私の方が優先でないか。」といって、その申出を拒絶した。そしてあれこれ交渉しているうちに、同年九月二二日名古屋地方裁判所から処分禁止の仮処分決定(乙三号証のNo.7)がでた。

その後原告は竹中および竹中株式会社の代理人内山賢治弁護士と話合の結果、同年一一月二日、和解契約が成立し、その中で、原告が右同日現在竹中に対して五、六〇〇万円の債権を有していること、右六〇〇万円は昭和四七年五月分から同年一〇月分までの賃料であることが確認された(乙三号証No.9)。そして原告は、右約定に従い、右当日五、〇〇〇万円受領し、残金六〇〇万円は翌昭和四八年中に受領したものである。

四  被告は貸倒が成立するための要件として債権放棄の措置がとられていることが必要である旨主張するが、一般の零細企業者に対し常にかかる措置を要求することは酷であり、実情にそわないから、たとえ債権放棄の措置をしてなくても客観的に見て債権の回収不能が明らかな事情があるならば貸倒損失として計上することを認めるべきである。

そして、特別な事情のない限り、債務者の倒産、行方不明の事実が存する限り、該債権の回収は不能になったと推認されるべきである。

したがって、かかる観点に立って、被告の「貸倒の主張に対する認否、反論」を検討すれば、昭和四五年から昭和四七年まで原告には貸倒損失がない旨の被告の主張が失当なことは明らかである。

また仮に斉藤昭二の行方不明の時期が昭和四七年ではなく昭和四八年であったとしても、原告は同人に対する貸倒を昭和四八年分の所得税申告の際申告しなかったのであるから、昭和四七年分の所得税を算出する際に必要経費として計上することも許されてしかるべきである。

第三証拠

(原告)

一  甲一ないし四号証(ただし四号証は写)、五号証の一ないし四、六ないし八号証、九号証の一ないし四、一〇号証の一ないし三、一一号証の一ないし五、一二ないし一七号証、一八号証の一、二、一九、二〇号証、二一号証の一ないし三、二二号証の一、二、二三ないし二五号証、二六号証の一ないし三、二七号証の一、二、二八号証を提出

二  乙一〇一ないし一〇五号証、一〇七ないし一一〇号証、一一三号証、一一五号証の一、二の成立はいずれも不知、乙一二号証の一ないし三、一五号証の二ないし九、三〇号証の二、三、三二号証の二ないし四、三四号証の三ないし六、三七号証の一、五三号証の三、四、八三号証の二、三、九〇号証、九二号証の一ないし三、九三号証の一ないし一三、九五号証、九九号証、一一二号証の一の原本の存在および成立はいずれも認める。その余の甲号各証の成立はすべて認める。

三  証人山崎秋雄、同千口友吉、同竹中秀雄、同岩塚保治、同大矢秀子の各証言および原告本人尋問(二回)の結果採用

(被告)

一  乙一号証の一ないし三、二ないし四号証、五号証の一ないし一二、六ないし一一号証、一二号証の一ないし三(写)、一三、一四号証、一五号証の一ないし九(ただし同号証の二ないし九は写)、一六ないし二〇号証、二一号証の一、二、二二ないし二九号証、三〇号証の一ないし三(ただし同号証の二、三は写)、三一号証、三二号証の一ないし四(ただし同号証の二ないし四は写)、三三号証、三四号証の一ないし六(ただし同号証の三ないし六は写)、三五、三六号証、三七号証の一、二(ただし同号証の一は写)、三八ないし四五号証、四六号証の一、二、四七ないし五二号証、五三号証の一ないし四(ただし同号証の三、四は写)、五四ないし六三号証、六四号証の一ないし三、六五ないし八二号証、八三号証の一ないし三(ただし同号証の二、三は写)、八四ないし九〇号証(ただし九〇号証は写)、九一号証の一ないし三、九二号証の一ないし三(写)、九三号証の一ないし一三(写)、九四ないし九六号証(ただし九五号証は写)、九七号証の一ないし四、九八ないし一一〇号証(ただし九九号証は写)、一一一号証の一、二、一一二号証の一、二(ただし同号証の一は写)、一一三、一一四号証、一一五号証の一、二、一一六号証を提出

二  甲一号証、九号証の四、一二、一三号証、二一号証の一ないし三、二二号証の一、二、二三ないし二五号証、二六号証の一ないし三、二七号証の一、二、二八号証の成立はすべて認める。甲四号証の原本の存在および成立は認めるが、その余の甲号各証の成立はいずれも不知。

三  証人堀田佳秀、同有賀重介、同竹中秀雄の各証言を援用。

(職権)

原告本人尋問(一回)の結果援用。

理由

一  請求原因一ないし六の事実はすべて当事者間に争いがなく、被告の主張は、次の四点を除いて、すべて当事者間に争いがない。

1  ミリオン開発から受取った請負代金の収入計上時期

2  昭和四五年から昭和四七年までの貸倒の有無

3  昭和四五年分ないし昭和四七年分の不動産所得の金額

4  昭和四六年分および昭和四七年分の雑所得の金額

二  そこで、まず右四点について順次検討する。

1  ミリオン開発からの収入計上時期について

成立につき争いのない甲二一号証の一ないし三、乙六八号証、原告本人尋問(二回)の結果真正に成立したものと認められる甲二〇号証によれば、原告は昭和四四年一一月一日、ミリオン開発から同社十四山倉庫新築工事を坪あたり二万二、二五〇円(総額一、四八二万一、八三七円)で請負い、同年一二月二九日に八五〇万円、昭和四五年三月六日に五〇〇万円の各支払を受けたことが認められ、これに反する証拠はない。

ところで、請負契約における収入金額の収入計上時期は、物の引渡を要する請負契約にあっては、その目的物の全部を完成して相手方に引渡した日と解するのが相当である(所得税基本通達三六-八(4)も同旨である。)ので結局原告の右収入が昭和四四年中の収入になるか昭和四五年中の収入になるかは、右倉庫がいつ完成しミリオン開発に引渡されたかによって決まることになる。

この点に関し、被告は、ミリオン開発が総勘定元帳において、右二回の支払を建物仮勘定に計上し、昭和四五年一二月三一日の決算期にこれらを建物勘定に振替処理していることおよびミリオン開発が右倉庫に関し、昭和四五年二月一〇日付で所有権保存登記をしていることを根拠に、右倉庫は昭和四五年になってからミリオン開発に引渡された旨主張する。

被告の主張する右二つの事実はいずれも当事者間に争いがなく、右事実を総合すれば、被告の右主張は認められるかのごとくである。

しかしながら、他方右十四山倉庫の表示登記の原因日付欄に「昭和四四年一二月二五日新築」と記載されていることは当事者間に争いがないうえ、前掲甲二〇号証、二一号証の一ないし三によれば、原告とミリオン開発の前記請負契約には倉庫引渡の時期について昭和四四年一二月二五日以内と明記されていたうえ、工事遅延の場合には一日あたり五万円の違約金を支払う旨の特約が付されていたこと、原告は、昭和四六年、ミリオン開発に対し、昭和四四年七月一四日締結した扶桑町高雄の倉庫請負工事に基づく請負残代金二〇〇万円と前記十四山倉庫請負工事に基づく請負残代金一三二万一、八三七円ならびに前者については倉庫引渡後である昭和四四年一二月二〇日から、後者については倉庫引渡の翌日である同年一二月二六日から各支払ずみに至るまで年六分の割合による遅延損害金を求める訴訟を提起したこと、これに対し、ミリオン開発は弁護士を代理人に選任したうえ、扶桑町の請負工事については工事代金額を争い未払金はないと主張したが、十四山倉庫の請負工事については工事残代金の存在を認め(ただし、右扶桑町の工事に伴い発生した損害賠償請求権で相殺する旨の抗弁等を提出した。)、さらに原告に対し、右相殺の結果残存した損害金の支払を求める反訴を提起したこと、そして、その訴訟において、ミリオン開発は前記違約金条項に基づく主張を全くせず、しかも原告が右十四山倉庫工事に伴う損害金を昭和四四年一二月二六日から求めていることに対しても特別争っていないことが認められる。したがって、以上の事実に原告本人尋問(二回)の結果を総合すると、前記認定の事実のみでは、いまだ昭和四五年中に十四山倉庫がミリオン開発に引渡されたものと推認できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

してみると、ミリオン開発からの請負代金の収入は昭和四五年分の収入金額となることの立証がないことになるから、右収入金額を昭和四五年分の事業所得の収入金額に計上することは失当である。

2  昭和四五年から昭和四七年までの貸倒の有無

所得税法五一条二項所定のいわゆる貸倒金を必要経費として計上するためには当該年度中に債務者の事業閉鎖、行方不明など客観的に見て確定的に債権の回収を不能と認めざるをえない事態が存したか、あるいは債権者が回収困難と判断して債権を放棄した事実が存することを要すると解すべきである(被告主張の所得税基本通達五一-一一、五一-一二はいずれもこの趣旨を詳細に分類して規定したものであって、同旨のものと解される。)。

以下かかる観点に立って、原告主張の貸倒の有無を検討する。

(一)  岩塚工務店に対する貸倒について

証人岩塚保治の証言により真正に成立したものと認められる甲五号証の一ないし四、乙一〇八号証および同証人の証言によれば、原告は、昭和四五年三月ごろ、岩塚工務店から鉄骨工事を請負い、同年五月ごろ、小切手および約束手形で請負代金二〇九万三、〇〇〇円の支払を受けたが、岩塚工務店はそのころ倒産し、右小切手および約束手形はすべて不渡となったこと、岩塚工務店の無限責任社員であった岩塚保治は同年八月ごろ、当時住んでいた同人所有の建物を売却し、岩塚工務店の債務の支払にあてたが、残債務として約一、五〇〇万円残ったこと、原告はその後岩塚工務店から二〇万円の返済を受けたが、残額については現在まで返済を受けていないことが認められ、これに反する証拠はない。

右事実によれば、原告の岩塚工務店に対する工事残代金一八九万三、〇〇〇円の回収は不能となったといいうるかのようである。

しかし、合資会社に対する債権の回収が不能となったというためには、合資会社の無限責任社員は合資会社とともにその債務の支払をすべき義務があるから、単に合資会社のみならず無限責任社員に対しても債権の回収が不能であることが必要だと解されるところ、前掲各証拠に成立につき争いのない乙一〇六号証を総合すれば、岩塚保治は前記のとおり昭和四五年八月ごろ、当時住んでいた同人所有の家屋を売却したものの、売却後も昭和四六年九月ごろまで右家屋に居住し、その後現在の住居地へ移っこと、右岩塚は、右倒産後である昭和四五年一〇月二二日ごろ、原告から事業および生活資金として五〇万円借受け、同日付で同人所有の名古屋市中村区椿町二〇〇三番地(従前の土地の表示名古屋市中村区椿町四丁目二〇番地一)、家屋番号二〇番の一〇二の建物に債権額を一〇〇万円とする抵当権設定登記をするとともに、個人で建築請負業を始めたことを認めることができ(これに反する原告本人尋問(二回)の結果は措信し難い。)、以上の事実によれば、岩塚保治は昭和四五年当時全くの無資力、無資産でもなく、その行方も判明していたのであるから、原告の岩塚工務店に対する前記工事残代金一八九万三、〇〇〇円の回収は昭和四五年中に相当困難になったことは否定すべくもないが、いまだ同年中に明らかに不能となったとまで認めることはできない。

してみると、原告の岩塚工務店に対する右工事残代金はいまだ昭和四五年中に貸倒になったと認めることはできない。

(二)  金岡敏治に対する貸倒について

成立につき争いのない甲九号証の四、原告本人尋問(二回)の結果真正に成立したものと認められる甲九号証の一ないし三および原告本人尋問(二回)の結果によれば、原告は昭和四五年一月ごろ、金岡敏治に対し、合計二二五万円の約束手形金請求権を取得したこと、原告は右約束手形金について現在まで支払を受けてないことを認めることができ、これに反する証拠はない。

ところで、右約束手形金請求権が昭和四五年中に貸倒となったといいうるためには、昭和四五年中に債務者の行方不明等債権の回収が不能であることを客観的に認めるほかにない事態の生ずることが必要であることは前記のとおりであるところ、前記認定の事実のみでは、昭和四五年中に約束手形金を回収できなかったにすぎないから、右事実をもって直ちに債権の回収が不能であることを認めざるをえない客観的な事態が生じたということはできず、しかも弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙一〇九号によれば、金岡敏治は昭和四九年四月三〇日トラックを購入していることが認められるうえ、弁論の全趣旨によれば、右金岡は昭和四五年当時から死亡する昭和五一年一二月二一日まで名古屋市北区八坪町三丁目三三番地に居住していたことが認められるから、かかる諸事情を総合すると、原告の金岡に対する右約束手形金請求権は昭和四五年中に回収不能となったとまで認めることはできない。

してみると、原告の金岡に対する右約束手形金債権はいまだ昭和四五年中に貸倒になったと認めることはできない。

(三)  伊藤宣明に対する貸倒について

原告は、昭和四五年八月ごろ、伊藤宣明から鉄骨工事を請負い、請負代金一〇六万八、五〇〇円を約束手形により受取ったが、右手形はいずれも不渡となった旨主張する。

原告本人尋問(二回)の結果真正に成立したと認められる甲一〇号証の一ないし三、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定される乙一〇一号証、原告本人尋問(二回)の結果によれば、原告は昭和四五年一一月ごろまでに伊藤宣明より別紙一〇手形目録(1)ないし(3)記載の約束手形の振出を受け、現にこれを所持していること、その合計額が一〇六万八、五〇〇円となることを認めることができ、右事実によれば、原告は右伊藤に対し、合計一〇六万八、五〇〇円の約束手形金請求権を有していたかのごとくである。

しかしながら、成立につき争いのない乙一一六号証、前掲乙一〇一号証によれば、前記(1)の手形は伊藤が原告からの借受金を担保するために原告に対して振出した手形の一部であるが、原告からの借受金については、伊藤は同年一一月ごろ、原告に対し、伊藤所有の建物(名古屋市西区南鷹匠町一丁目七番地所在)や安藤電気の手形、文明堂の小切手等を譲渡し、もって全部清算したこと、伊藤は昭和四五年一一月ごろ倒産したが、(2)、(3)の手形は債権者の間で原告が有利になるように振出交付されたものであることが認められ、これに反する原告本人(二回)の結果部分は措信しがたい。

したがって以上によると、原告は、(1)の約束手形金請求権を一旦取得したものの、昭和四五年一一月ごろその支払を受けて消滅させたものであり、また、(2)、(3)の約束手形金請求権はその原因を欠くものであるから、そもそも約束手形金請求権を取得しなかったというべきである。

してみると、原告が昭和四五年中右(1)ないし(3)の約束手形金請求権を有していたことを前提とする原告の貸倒の主張は、その前提を欠き失当である。

(四)  協和工務店に対する貸倒について

原告本人尋問(二回)の結果真正に成立したと認められる甲一一号証の一ないし五および原告本人尋問(二回)の結果によれば、原告は昭和四五年一一月から昭和四六年二月ごろにかけて、協和工務店から丸西家具店倉庫新築工事、井戸栄サク泉工業事務所新築工事、三信ハウス建材工事岐阜営業所および倉庫新築工事、日比野邸新築工事を請負い、合計額面五一八万八、〇〇〇円の約束手形を受取ったこと、右手形はすべて不渡となり、原告は右以降現在まで右請負代金を回収していないことが認められ、これに反する証拠はない。

しかしながら、債務者が手形の不渡を出しても、そのことによって営業ができないわけではなく、細々とではあるが依然営業を続けることも世上なくはないから、原告に貸倒が生じたといいうるためには、手形が不渡となり請負代金の回収ができなかったことだけでは足らず、右協和工務店が右手形不渡を出した後残余財産を整理して事業所を閉鎖する等客観的に見て債権の回収が全く不能となったと認めざるをえない事態の生じたことが必要であるところ、かかる事実を認めるに足りる的確な証拠はなく、また、成立に争いのない乙一一一号証の一、二によれば、協和工務店は代表取締役古田恒のほか役員二名が選任されており、仮に古回恒が一時期行方不明であったとしても、そのことから直ちに債務者たる協和工務店の債権の回復が不能となったとまで認めることはできない。しかも弁論の全趣旨によれば、協和工務店の代表取締役古田恒は昭和四六年四月ごろから昭和五五年ごろまで名古屋市守山区大字吉根字松洞三三一〇の一に居住していたことが認められる。したがって、以上の諸事実を総合考慮すると、前記認定の事実のみでは、いまだ昭和四六年中に原告の協和工務店に対する請負代金債権の回収が不能になったとまで認めることはできない。

してみると、原告の協和工務店に対する前記請負代金債権が昭和四六年中に貸倒になったと認めることはできない。

(五)  岡田勉に対する貸倒について

原告は、岡田勉に対し、昭和四七年中に合計一、二五〇万円を貸付けたが、同年中に同人が行方不明となったため、同人から右貸付の際受取った担保を換価して二〇〇万円を回収したが、残金一、〇五〇万円が回収不能となったと主張する。

しかしながら、仮に原告主張のとおり、原告が岡田勉に対し昭和四七年中に合計一、二五〇万円貸付けたとしても、右貸付金が貸倒となるためには前記のとおり債務者の行方不明等債権の回収が不能であることを認めざるをえない客観的な事態が存在することが必要なところ、原告本人尋問(二回)の結果真正に成立したと認められる甲七号証および原告本人尋問(二回)の結果によれば、原告は昭和四七年一二月二八日、ニュータイヨーこと安形強に味付のり三、〇〇〇個を一五〇万円で販売したが、その代金の支払について右岡田が連帯保証していることが認められ、右事実によれば、岡田は昭和四七年中に行方不明となっておらず、しかも他に原告の有する前記貸付金の回収が不能であると認めざるをえないような客観的な事態も存しないから、右貸付金は昭和四七年中に回収不能になったと認めることはできない。

してみると、昭和四七年中に岡田に対し貸倒が生じた旨の原告の前記主張は、終局理由がないことに帰する。

(六)  小嶋富士郎に対する貸倒について

原告本人尋問(二回)の結果真正に成立したと認められる甲一七号証および原告本人尋問(二回)の結果によれば、原告は小嶋富士郎から鉄骨工事を請負い、これを完成し、同人から同人の裏書のある額面二八万円の約束手形を請負代金として受取ったが、昭和四七年一月二二日、右手形が不渡となったこと、原告は現在まで右請負代金を回収していないことが認められ、これに反する証拠はない。

しかしながら、右小嶋裏書の手形が不渡となり、同年中に前記請負代金の回収ができなかったことから直ちに同人に対する前記請負代金の回収が昭和四七年中に不能になったと速断できないことは前記のとおりであるのみならず、成立に争いのない乙一一二号証の一、二によれば、右小嶋は右手形が不渡となった後も昭和五一年一二月ごろまで従前どおり西春日井郡西春町大字九六坪北竹田五六番地に居住していたことが認められるうえ、他に債権の回収が不能となったと認めざるをえないような客観的な事態は存しないから、かかる諸事実に照らすと、前記認定の事実のみでは、いまだ昭和四七年中に原告の小嶋に対する請負代金債権の回収が不能となったとまで認めることはできない。

もっとも、成立につき争いのない甲二七号証の一、二によれば、原告が昭和四五年分および昭和四六年分の各所得税に対する異議申立をなした際、被告が昭和四五年分および昭和四六年分の所得税を算出するのに小嶋に対する貸倒の存在を認めたことを認めることができるが、右事実をもって、回収不能であることを認めざるをえない客観的な事態と解することは相当ではないと思料される。

してみると、原告の小嶋に対する前記請負代金債権が昭和四七年中に貸倒になったと認めることはできない。

(七)  斉藤昭二に対する貸倒について

証人大矢秀子の証言により真正に成立したものと認められる甲一八号証の一、二、同証人の証言、原告本人尋問(二回)を総合すれば、原告は昭和四七年一月ごろ、斉藤昭二から鉄骨工事を七〇万円で請負い、五九万円相当の材料を立替えたうえで完成させたが、同人がその支払ができなか たため、同年二月一日貸付金に振替えたこと、原告は右一二九万円について現在まで支払を受けてないことが認められ、これに反する証拠はない。

しかしながら弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙一〇七号証、一一五号証の一、二、前掲大矢秀子の証言によれば、斉藤昭二は昭和四七年七月二九日、共立工業こと斉藤昭二名義の当座預金口座を株式会社名古屋相互銀行今池支店に開設したこと、右口座は昭和四八年三月一日、取引停止処分により強制解約となったこと、右斉藤は昭和四九年一二月ごろまで名古屋市守山区大字大森字八龍二三六七番 七二に居住しており、昭和四七年中は鉄工業を営んでいたことが認められる。

したがって以上の事実を総合考慮すると、原告は昭和四七年中に斉藤に対する前記貸付金を回収しなかったものの、いまだ同年中に回収が不能になったと認めることはできない。

してみると、原告の斉藤に対する前記貸付金が昭和四七年中に貸倒になったということはできない。

なお、原告は、「原告は昭和四八年分の所得税申告の際、右貸付金を貸倒として申告していないのであるから昭和四七分の貸倒として認めるべきである。」旨主張するが、所得税法五一条二項の規定によれば、同項所定の貸倒はその損失の生じた日の属する年分の所得金額を計算するうえでのみ認められるものであることは明らかであるから、仮に原告主張のとおり原告が昭和四八年分の所得税申告の際右債権を貸倒として申告していなかったとしても、原告の右主張は理由がない。

3  昭和四五年分ないし昭和四七年分の不動産所得の金額について

(一)  成立につき争いのない乙二、一一四号証、原告本人尋問(一回)の結果によれば、本件店舗は仲田ビル所有の大久手マンションの一室であるところ、原告は昭和四三年ごろ、当時の賃借人である緑十字屋から店舗在中の什器、備品とともに賃借人たる地位を同店に対する二〇〇万円の貸金債権に代えて取得し、同年一〇月ごろ仲田ビルとの間で本件店舗の賃貸借契約を結んだこと、本件店舗の賃料は右当時から昭和四七年末まで月額四万四、〇〇〇円であったこと(賃料の額は当事者間に争いがない。)、山崎秋雄は昭和四三年終ごろ、千口友吉の紹介で原告を知り、原告との間で本件店舗の賃貸借契約を結んだこと、当初の賃料は月額一三万円であったが、昭和四五年一〇月一日から月額一六万四、〇〇〇円に増額されたこと、右山崎は右賃料支払のために毎月手形を振出したが、右手形は千口友吉が原告のところに届けていたことが認められる。

したがって、右事実によれば、山崎が原告から前記賃料で本件店舗を転借したものと認めることができる。

もっとも前掲証人山崎秀雄の証言により真正に成立したと認められる甲二号証、証人千口友吉の証言により真正に成立したと認められる甲三号証および同証人の証言、原告本人尋問(一回)の結果中には、原告は本件店舗を賃料八万四、〇〇〇円で千口友吉に転貸し、同人が山崎秋雄に被告主張の賃料で再転貸したものである旨の記載もしくは供述部分が存する。しかしながら、千口友吉が本件店舗を利用して喫茶店もしくはレストランを経営したことを認めるに足りる的確な証拠がないのみならず、仮に原告主張のとおり原告が千口に、千口が山崎に本件店舗をそれぞれ転貸したとすると、山崎が毎月原告に賃料を支払っていたことが不自然であり、しかも原告の主張によれば、山崎の支払う賃料のうち昭和四五年九月三〇日までは毎月四万六、〇〇〇円、翌一〇月一日以降は毎月八万円ずつ千口が取得することになるが、千口がかかる金員を取得することは単に転借人を紹介したにすぎず、他に本件店舗について何ら権利を有するものでもない同人の取得分が原告が取得する金額に比して高額にすぎ不自然であり、また前掲乙二号証によれば、原告は昭和四九年一二月山崎に対して本件店舗の賃借人たる地位を五一二万円余で譲り渡したことが認められるところ、それ以前に原告が千口との間の賃貸借契約を解除したことを認めるに足りる的確な証拠はないこと等に照らすと、原告の主張にそう前掲各証拠はいずれも措信し難く、他に前記認定に反する証拠はない。

(二)  そこで、右事実に基づいて原告の不動産所得の金額を算出するに、原告は本件店舗の賃料として、昭和四五年中に一六六万二、〇〇〇円(13万円×9+16万4,000円×3=166万2,000円)、昭和四六年中および昭和四七年中に一九六万円(16万4,000円×12=196万円)をえたことになるが、そのうち原告が仲田ビルに支払った賃料年あたり五二万八、〇〇〇円(4万4,000円×12=52万8,000円)は必要経費となるから、原告の昭和四五年分ないし昭和四七年分の各不動産所得は、次のとおりとなる。

昭和四五年分 一一三万四、〇〇〇円

(166万2,000円-52万8,000円=113万4,000円)

昭和四六年分および昭和四七年分 一四四万円

(196万8,000円-52万8,000円=144万円

4  昭和四六年分および昭和四七年分の雑所得の金額について

(一)  原告がその取引先である竹中秀雄に対し、昭和四六年二月一六日現在二、四二六万七、一〇五円の工事未収金を有していたこと、右同日、原告と右竹中は右工事未収金を貸付金に振替えたことおよび原告は昭和四七年一一月二日右竹中から五、〇〇〇万円の支払を受けたことはいずれも当事者間に争いがなく、成立につき争いのない甲一、二三号証、乙三号証、原本および成立につき争いのない甲四号証、原告本人尋問(二回)の結果ならびに右当事者間に争いのない事実を併せれば、

(1) 原告と竹中は、右工事未収金を貸付金に振替えた際、公正証書(甲一号証)を作成したこと、右公正証書には、貸付金・五、〇〇〇万円、利息・日歩四銭一厘、返済期日・昭和四八年二月末日、特約・竹中ビルが完成したときは原告に第一順位の抵当権を設定する旨記載されていること

(2) 原告は、昭和四六年六月二五日、竹中株式会社との間で同社所有の竹中ビルについて、売買一方予約を原因として原告のために所有権移転請求権保全の仮登記を設定することを合意し、同月三〇日その旨の登記をしたこと

(3) 原告は、昭和四六年八月一六日、竹中株式会社との間で次の約定で竹中ビルの売買予約をし、竹中は原告に対し額面四、〇〇〇万円の約束手形を振出したこと

代金 五、〇〇〇万円

予約完結日 同年一一月三〇日

特約 竹中株式会社が右期限までに五、〇〇〇万円を原告に支払った場合は、竹中株式会社は右契約を解除できる。

(4) 竹中は右期日までに五、〇〇〇万円の支払をしなかったので、原告は右同日ごろ竹中株式会社から実印と印鑑証明書の交付を受け、これを預ったこと

(5) 竹中は、名目のいかんをとわず、昭和四六年二月一六日から同年一二月三一日までの間に原告に対し、一銭の支払もしなかったが、昭和四七年一月から同年八月にかけて被告主張の各日時ごろ各主張の金員合計九四〇万円を支払ったこと

(6) 竹中株式会社は、昭和四七年九月二二日、竹中ビルに対して原告が設定した所有権移転請求権仮登記に対し、いわゆる処分禁止の仮処分命令をえ、同日その旨登記されたこと

(7) 竹中および竹中株式会社は、代理人として弁護士を選任したうえ、原告との間で、昭和四七年一一月二日左記和解契約を結んだこと

イ 原告と竹中および竹中株式会社は、昭和四六年二月二六日以降結んだ契約をすべて合意解約し、竹中は原告に対し昭和四七年一一月二日現在五、六〇〇万円の債務のあることを確認する。

ロ 原告は、前記(2)記載の所有権移転請求権保全の仮登記を抹消する。

ハ 原告は、前記(3)記載の約束手形を竹中に返還する。

ニ 竹中は、前記五、六〇〇万円中、四、三〇〇万円については右ロの仮登記の抹消登記手続に必要な書類の引渡を受けるのと引換に支払い、七〇〇万円については前記(6)の仮処分命令執行の際供託金を取戻して直ちに支払い、残六〇〇万円については昭和四八年四月以降一〇回に分割して支払う。

(8) 竹中は、昭和四七年一一月二日、原告に対し、五、〇〇〇万円支払ったこと

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  ところで、原告が昭和四七年中に支払を受けた右五、九四〇万円について、被告は前記二、四二六万七、一〇五円とその利息である旨主張するのに対し、原告は右二、四二六万七、一〇五円とその利息のみならず、新たな貸付金一、七五〇万円とその利息を含むものである旨主張するので、原告の右主張事実が認められるか否かについて検討する。

原告は、右貸増をした事情について、当初工事未収金を貸付金に振替え公正証書を作成した際、竹中との間で五、〇〇〇万円に達するまで貸増することに合意していたので、竹中から要請を受け、昭和四六年五月一日ごろ 五〇〇万円、同年六月一日ごろに五〇〇万円、同年六月二四日ごろに四〇〇万円、同年八月一六日に三五〇万円をそれぞれ貸付けたこと、ただ原告は手持の資金がなかったので、右貸付中前三回はいずれも矢内キンから、第四回目は三五〇万円中一〇〇万円を矢内キンから、内二〇〇万円を川野周道からそれぞれ借受けた旨主張し、原告本人尋問(一、二回)中には、右主張にそう供述部分が存する。

しかしながら前掲公正証書には、原告が昭和四六年二月一六日竹中に対し五、〇〇〇万円貸付けたと記載されているだけであって、原告が五、〇〇〇万円に達するまで貸増をする旨の記載は存しないのみならず その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定される乙一〇四、一〇五号証によれば、原告が貸増金を借受けたと主張する矢内キンは原告に対し右金員を貸付けたことはない旨供述していることが認められ、しかも川野周道が原告主張の金員を原告に貸付たことを窺わせる証拠は、前掲原告本人尋問(二回)を除いて全くないこと等に照らすと、原告主張にそう原告本人尋問(一、二回)の結果は疑問が多く、右供述のみでは原告の前記主張を認めることはできず、他に原告の前記主張を認めるに足りる的確な証拠もないから、原告の前記主張は採用できない。

もっとも原告本人尋問(二回)の結果真正に成立したと認められる甲一九号証中には、竹中が原告から貸増を受けたことを窺わせる記載もあるが、他方前掲乙三号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定される乙一一三号証中には竹中が昭和四六年二月一六日以降原告から金員を借受けてない旨の記載部分があることに照らすと、いまだ右甲一九号証は貸増を認めるに足りる的確な証拠ともいえない。

しかも右貸増金を除けば、昭和四六年二月一六日以降竹中が原告に対し、名目のいかんをとわず何らの債務負担もしなかったことは当事者間に争いがない。

したがって以上によれば、前記五、九四〇万円は被告主張のとおり当初の貸付金二、四二六万七、一〇五円とその利息と解さざるをえない。

もっとも仮に原告から竹中に対する貸付金が二、四二六万七、一〇五円だけであってそれ以外には存しないとすると、右二、四二六万七、一〇五円の元金は昭和四六年二月一六日から同年八月一六日までに約一、五七四万円の利息(なお、前記認定の事実によれば、右同日現在の竹中の原告に対する債務は四、〇〇〇万円に達していたものと推認される。)を生じ、同月一七日から同年一一月三〇日までに一、〇〇〇万円の利息を、同年一二月一日から昭和四七年一一月二日までに一、五四〇万円(5,600万円+940万円-5,000万円=1,540万円)の利息を生じたことになる(ちなみにその利率を単利で計算すると昭和四六年八月一六日までは月約一割一分、翌日以降同年一一月三〇日までは月約一割二分、翌日以降昭和四七年一一月二日までは月約五分八厘となり、全期間を通しての利率を計算すると、月約八分となる。ただし後二者は最終日である昭和四七年一一月二日に利息が支払われたものとして計算してある。)が、かかる高利を竹中および竹中株式会社もしくはその代理人である弁護士がなぜ許容したのか疑問を払拭しきれないが、いまだ右事実をもって前記認定をくつがえすことはできず、他に前記認定をくつがえすに足りる証拠は存しない。

また、原告は、前記九四〇万円については、昭和四六年一一月三〇日原告が竹中ビルを取得したのであるから、それに対する賃料である旨主張するが、仮に原告が原告主張のとおり昭和四六年一一月三〇日竹中ビルを取得したとしても、前記認定のとおり原告と竹中株式会社は、昭和四七年一一月二日、原告が竹中ビルを取得する原因となった昭和四六年八月一六日付売買の予約契約を合意解除したのであるから、右九四〇万円は竹中ビルの賃料ということはできず、結局前記二、四二六万七、一〇五円に対する支払すなわち同金額に対する利息もしくは元金と解さざるをえない。

してみると、原告の右主張は失当である。

(三)  次に二、四二六万七、一〇五円の工事未収金を貸付金に振替えた際の利息の利率であるが、これに対して原告は月三分(昭和四六年六月三〇日から月二分に減額)と主張し、被告は月四分五厘と主張するから、右振替当時においては右貸付金の利息の利率が月三分を下らないことにおいては当事者間に争いがなく、昭和四六年六月三〇日以降においては月二分を下らないことにおいては当事者間に争いがないことになる。ところで、本件において、被告は昭和四六年中の利息収入に関して利息制限法所定の利率年一割五分の割合によって算出された金額の収入があったと主張するのであるから、右限度を超えることに当事者間に争いがない以上、その正確な利率を認定する必要はない。

よって本件においては右利率以上正確な利率を認定しない。

(四)  そこで、以上の事実に基づいて昭和四六年分および昭和四七年分の雑所得の金額を算出する。

まず昭和四六年分の雑所得の金額であるが、前記のとおり、原告は昭和四六年二月一六日、工事未収金二、四二六万七、一〇五円を利息制限法に規定された利息の最高限を超過する利息を有する貸付金に振替え、同年中に一銭の利息収入も現実には受取っていないのであるから、原告が竹中に対して請求しうる昭和四六年分の貸付金利息は、被告主張のとおり三一七万一、三四四円となる。

<省略>

そして、これが所得税法三五条の雑所得の収入金額になるところ、右雑所得に係る必要経費はないので、原告の竹中に係る雑所得の金額は三一七万一、三四四円となる。

次に昭和四七年分の雑所得の金額であるが、前記のとおり、原告は昭和四七年中に竹中から五、九四〇万円を収受しているが、右は前記貸付金二、四二六万七、一〇五円の元金と利息であるから、そのうち昭和四七年分の利息金は、被告主張のとおり、三、一九六万一、五五一円となる。

5,940万円-2,426万7,105円-317万1,344円=3,196万1,551円

そして、これが所得税法三五条の雑所得の収入金額になるところ、右雑所得に係る必要経費はないので、原告の昭和四七年分の竹中に係る雑所得の金額は三、一九六万一、五五一円となる。

三  以上検討してきたところを要約すれば、本件における争点中、2ないし4に関しては被告の主張が正当であり、1に関しては原告の主張が正当だということになる。

そこで、被告主張の昭和四五年分の事業所得金額のなかから前記ミリオン開発からの収入一、四九二万円を削除したうえで昭和四五年分の総所得金額を計算すると別紙一一昭和四五年分総所得金額計算表のとおり一、一五四万一、五一七円となる。

したがって右総所得金額の範囲内でなされた昭和四五年分の更正および加少申告加算税賦課決定の各処分はいずれも正当であり、右事実誤認は右各処分に何ら影響を与えるものでないことが明らかである。

また昭和四六年分の総所得金額は被告主張のとおり九八六万八、二二三円となり、昭和四七年分のそれも被告主張のとおり四、〇四五万二八〇円となるので、右各総所得金額の範囲内でなされた本件各課税処分(なお、異議決定および裁決による一部取消後のものである。)はいずれも適法である。

四  以上説示したとおり、被告のなした昭和四五年分の更正および過少申告加算税賦課決定の各処分、昭和四六年分の更正および過少申告加算税賦課決定(ただし、異議および裁決により取消された部分を除く。)の各処分、昭和四七年分の再更正および過少申告加算税賦課決定(ただし、裁決により取消された部分を除く)の各処分はいずれも正当であるから、原告の本訴請求はすべて理由がない。

よって原告の本訴請求をすべて棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、行訴法七条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤義則 裁判官 澤田経夫 裁判官 綿引穣)

別紙一

昭和四五年分課税処分表

<省略>

別紙二

昭和四六年分課税処分表

<省略>

別紙三

昭和四七年分課税処分表

<省略>

別紙四

総所得金額計算表

<省略>

別紙五

昭和四五年分収入金額明細表

<省略>

<省略>

<省略>

(注) 右表の(株)は株式会社、(資)は合資会社、(有)は有限会社、(名)は合名会社を意味する。

別紙六

昭和四六年分収入金額明細表

<省略>

<省略>

(注) 右表の(株)は株式会社、(資)は合資会社を意味する。

別表七

昭和四七年分収入金額明細表

<省略>

<省略>

(注) 右表の(株)は株式会社、(資)は合資会社、(有)は有限会社を意味する。

別紙八

鉄骨工事業者の平均算出所得率計算表

<省略>

(注) 算出所得率はパーセントで、小数点3位以下は切り捨て。

別紙九

貸付金等の明細表

一 貸付金

<省略>

利息の合計 四六三万五二八六円

二 経費

1 矢内キン

<省略>

2 川野周道

<省略>

3 右合計利息 二〇一万三三三二円

別紙一〇

手形目録

<省略>

別紙一一

昭和四五年分総所得金額計算表

<省略>

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